大政奉還と二条城
徳川慶喜が政権の返上「大政奉還」を表明
嘉永6年(1853)にペリー率いるアメリカの黒船が浦賀沖に来航。鎖国をしていた日本に開国を迫ります。鎖国を続けるか、開国するか。国内で意見が分かれ混乱が広がりました。そんななか慶応2年(1866)、15代将軍に就任したのが徳川慶喜です。その頃には、長州藩、薩摩藩を中心に幕府を倒す動きが高まり、二条城を拠点とする幕府方と武力衝突が危惧される事態に。これを回避しようとした土佐藩や芸州藩は、幕府が政権を朝廷に返上することをすすめる「大政奉還」の建白書を作成し、慶喜に提出します。この建白書を受け入れる形で慶応3年(1867)10月12日、二条城で慶喜は幕府の側近に政権を返上するつもりであることを伝えます。さらに13日には、京都にいた諸藩の重臣にもそのことを告げました。これが大政奉還の表明です。この内容は文書にまとめられて翌14日朝廷に提出されました。そして15日、慶喜が朝廷に参内し、許可されました。