学術の視点
熊倉 功夫 MIHO MUSEUM館長 「寛永茶会」学術アドバイス
国宝二の丸御殿黒書院を使っての体験型のイベントは、従来の文化財保護の発想では考えられない企てでした。しかし日本の文化の根底には「生活文化」という思想があって、生活の中で生かされて、はじめて文化としての価値があるのです。その点で今回の企ては、生活空間の中に、それぞれの道具が配置され、それがどのように機能し、集う人びとをもてなすかを、具体的に実感していただく好機会であったと思います。
ことに火の使用について厳しい制限があるのは当然ですが、十分の備えがあれば、決して不可能でないことを立証できました。火は人類が他の動物と決定的に異る文化を獲得する上で最も重要な契機となったものです。火に対する畏怖、信仰、火による潔斎など、火は人類の根幹となる文化です。しかし、今や日常生活の中から急速に火の文化が消えつつあります。こうした時代であればこそ、今回の試みの意義は、一層大きいと言えましょう。
廣瀬 千紗子 同志社女子大学名誉教授 「寛永茶会」学術アドバイス
寛永3年(1626)9月、後水尾天皇は関白以下、大勢の公家と二条城に行幸した。三代将軍徳川家光と、父の大御所秀忠は、天皇一行を黄金の調度で盛大にもてなし、莫大な献上品を贈った。行幸に備えて、作庭をはじめ、空間デザイン全般を手がけたのは小堀遠州である。江戸幕府が開かれて間もない当時、朝廷と幕府は緊張関係にあり、行幸には、幕府の権力を示すとともに、緊張緩和が意図されていた。その時の茶会を実証実験として再現したのが、このプロジェクトである
天皇の行幸は、華麗な行列の図が描かれた『寛永行幸記』が出版されて広く知られ、長く語り草となった。二条城は朝廷と幕府が向かいあった場所として現存する。しかし、これを実感するのは難しい。現在の二条城が京都の最たる観光スポットで、外から眺める対象だからである。そして誰もいない空間。今回の茶会では、国宝の二の丸御殿黒書院に身を置いて、天目茶碗で茶を喫するという体験が実現した。これは画期的な第一歩である。実態に迫るにはまだ程遠いが、発見もあった。生きた歴史から我々が学ぶことは多く、二条城は貴重な実験現場である。
太田 達 立命館大学食マネジメント学部教授 / 有職菓子御調進所老松 主人 「寛永茶会」学術アドバイス・出演
学術研究を重ねて、「寛永行幸」に携わったであろう人物をキャラクター化し、見た人にも伝わりやすくした点がとても良かったと思います。私は、小堀遠州として茶を点てましたが、動きについては、「松屋会記」を参考にして考えました。
小堀家の花輪違い紋が入った「大紋」という衣装を着て、位の高い人の前で行う点前です。茶を点てているときは、黒書院の中に入られた参加者のみなさんは、私の後方から静かに見ています。
二条城の入城者のみなさんは廊下からご覧になっていていますので、茶を点てる姿を横から見ることになります。両方にちゃんと見せないといけないということも、配慮した点です。
小堀遠州という人を浮かび上がらせるために、茶会では和歌を詠みました。和歌を好んだ小堀遠州が、いわばコーディネータを務めた茶席ですから、きっとどこかで和歌を詠んだであろうと思います。また、徳川家から徳川和子が後水尾天皇に入内した後で行われたのが寛永行幸です。武家と公家が混ざることも、この時代の大きなポイントだと思います。和歌で公家を、茶で武家を表し、ここでも両者の存在を際立たせました。そうすることで、みなさんに寛永という時代を感じていただきたい。そう思いながら、茶を点てさせていただきました。
家塚 智子 源氏物語ミュージアム館長 「寛永茶会」学術アドバイス
歴史学を学び、研究する者として、一番もどかしく歯がゆいのは、先行研究を学び、そして史資料(すなわち文献や絵画、建造物、考古遺物、歴史資料等々)を読み解き、検証したとしても、それはあくまでも、「文字」「文章」という一次元の表現であることです。展覧会や映像などで二次元、三次元の世界に復元できることもあります。しかし、その空間に入り込み、空気を肌で感じ、その世界の住人になることはほぼ不可能です。
この「Living History in 京都・二条城 寛永茶会~菊と葵」は、その夢のような空間を創り出し、体験するという取り組みです。
寛永3年(1626)9月、後水尾天皇が二条城に行幸したことは、二条城の歴史を考える上でも重要な出来事です。今日の二条城につながる整備もなされました。また、寛永期の京都には、「寛永文化サロン」と呼ばれる多彩な文化人たちが集うサロンがあり、それが今日の京都の文化、産業にも受け継がれています。二条城黒書院で寛永の文化人が集う茶会を再現するということは、寛永期から今日に至るまでの京都の歴史、文化の軌跡を学び、未来も考えることといえましょう。
VRをはじめ、近年様々な再現、体験の機会があります。しかし、長い歴史を見つめてきた二条城という空間で、五感(それ以上も?)を駆使するということは、何事にも替えがたい貴重な経験です。
今後、この取り組みが益々充実し、より多くの方々に体験していただき、歴史の醍醐味、文化、芸術の魅力を味わっていただくとともに、貴重な文化財の保護と活用について考えていただくきっかけになればと思います。
ウスビ サコ 京都精華大学 前学長/全学研究機構長/人間環境デザインプログラム教授 「寛永茶会」2019年度参加
二条城二の丸御殿の黒書院での茶会に参加する、そのことそのものにとても驚きましたが、中に入ってみて、保存状態の素晴らしさにも驚きました。何百年も前の建物とはとても思えない美しさです。そして、さらに「寛永茶会」を経験して感じたのは、江戸時代の距離感や緊張感です。それは文字や語りで説明されるだけでは、十分にはわからないことです。
文化財の保存というと有形物、建造物の保存に力が注がれることが多いのですが、その建物がどのように使われたのかが再現されることによって、建物を保存する意義がより伝わってくるのではないでしょうか。そういう意味で、今回、専門家の皆さんが史料を読み解き、それに基づいた体験を提供したことは、保存の方法として非常に重要なことだと私は思います。こういったプログラムであれば、たとえ解説やセリフを逐一訳していなくても、その場の歴史を外国の方も感じることができるでしょう。体験して得られる感覚はほかの人と共有することはできません。引き続き、ひとり一人にそういう経験を与えていくことが重要だと思います。
所 功 京都宮廷文化研究所 特別顧問 / 京都産業大学名誉教授 「大正大饗」学術アドバイス
久禮 旦雄 京都宮廷文化研究所 代表理事 / 京都産業大学准教授 「大正大饗」学術アドバイス
「ミヤコ」京都の魅力発信
大正4年(1915)に京都で行われた大正天皇の「御大礼」(即位礼・大嘗祭の総称)は、古代以来の伝統に基づきつつ、近代的な『登極令』と「附式」によって行われた最初の近代的な「御大礼」です。これにより、明治の東京奠都以後も、依然として京都が「ミヤコ」(宮処=天皇の御在所)であり、京都御所が「皇宮」であることが示されました。その意義は極めて大きいと思われます。
そこで、京都宮廷文化研究所は、大正の御大礼から約100年後の平成28年(2016)から3年にわたり、「近世京都の宮廷文化」展、「近代の御大礼と宮廷文化」展、そして「京都の御大礼」展を開催し、近世・近代の御大礼に関する史資料の展示を京都と東京で行いました。
しかも、令和2年(2020)に「Living History in 京都・二条城」のプログラムとして行われた「大正大饗」は、大正4年の御大礼の際に、大規模な饗宴(大饗)が行われた二条城において、その料理の一部を再現し、「五節舞」を披露するものでした。これを京都宮廷文化研究所としてもお手伝いさせていただいたことは、大いに喜びとするところです。
今後も、宮廷文化に関する、史資料に基づく実証的な研究を継続し、それに基づく実践的な体験等を通じて、「ミヤコ」としての京都の魅力を発信し続けて参ります。
鳥居本 幸代 京都ノートルダム女子大学 名誉教授 「大正大饗」学術アドバイス
五節舞は、天武天皇が吉野の宮で琴を爪弾いていると天女が「少女ども 少女さびすも 唐玉を 袂にまきて 少女さびすも」(後世、大歌(おおうた)と呼ぶ)と歌いながら舞い降りたという伝説に基づいています。
平安時代中期以降、新嘗会に五節舞姫を献上することが貴族たちのステータスともなり、紫式部も清少納言もつぶさに舞姫の容姿や装束などについて記しています。『源氏物語』にいたっては、巻名を五節舞姫に因んで「乙女」とつけているほど、魅了される舞でありました。
このたび、百年余りの時を経て、大正天皇即位の大饗の場であった二条城において、五節舞が披露されることの意義深さはいうまでもありません。篳篥(ひちりき)・龍笛(りゅうてき)・和琴(わごん)の伴奏による大歌にあわせて舞う五節舞には大歌の歌詞そのままに袖を翻す所作があり、かの僧正遍昭が詠んだ「天つ風 雲のかよひ路 ふきとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ」を彷彿させるものであるといえるでしょう。
青山 忠正 佛教大学名誉教授 「大政奉還」学術アドバイス
「再現プログラムをつくる」(大政奉還)
邨田丹陵が描いた「大政奉還」図は広く知られている。明治神宮・聖徳記念絵画館の壁画なのだが、これについて、将軍慶喜が二条城大広間で諸藩主あるいは重臣を前にして、大政奉還の意向を表明する場面と言われることがある。
これは無邪気な勘違いで、描かれている座敷は大広間ではなく、黒書院である。それは襖絵の桜を見ても明らかだ(大広間なら松)。さらに諸藩の重臣は、いわゆる陪臣(各大名の家臣)で、お目見えの資格がないから、将軍が彼らの前に姿を現すことはない。
では、この図はどういう場面を描いたものか。慶応3年10月12日、大政奉還を決意した慶喜が、二条城黒書院に在京の幕府重臣を集め、その意志を直々に告げ、彼らの意見を尋ねた光景である。
プログラムは、まさにその場面をリアルに再現する。登場人物の位置取りはもとより、慶喜が登場するときのさりげない所作、かたわらに控える老中板倉勝静の感情を押し殺したような表情。それらすべてがあいまって、この空間に、歴史的な事件が進行する臨場感をかもしだす。プログラムの参加者は、ちょうどタイムマシンに乗ったように、150年前の世界に連れ戻されるのである。
作り手・担い手の視点
小笠原 清忠 弓馬術礼法小笠原流三十一世宗家 「弓馬術礼法」協力
礼法は、「形」を覚えれば、その場をしのげるものと思われている方も多いと思います。しかし、それは鋳型としての「型」であって「形」ではありません。「型」は稽古の手段であって、小笠原が永きに渡って伝えてきた「形」とは、自然に学び、多くの経験に培われた「型」に心血を注いで稽古し、「当たり前のことを当たり前に行うことが出来る、常識的な正しい生活態度と行動」を身に付けることなのです。 小笠原流礼法は、武家礼法を基盤とし、武士が殿上にあがった際の礼法です。また、いざ戦時となれば、主人、家族、領民を守るために命を賭して戦います。したがって小笠原流の礼法は、それだけで独立したものではありません。「弓馬術礼法小笠原教場」の名に表されるように、弓馬術と礼法は、固く結びついて切り離せないもので、礼法はその最も基本になるものです。
林 宗一郎 能楽師 観世流職分 「寛永茶会」出演
江戸時代から続く京観世林家の初祖が林喜右衛門という名で京都で謡を生業とし始めたのは、寛永2年とも、寛永11年とも伝わっております。まさに、後水尾天皇や徳川家光、板倉重宗が生きた時代です。ひょっとしたら、この「寛永茶会」ようなの場の能楽に、自分の先祖が立ち合っていたかもしれない……。そんなことを、二条城二の丸御殿黒書院に座って、勝手に想像していました。その同じ場所で自分も謡を謡うと考えると、とても不思議な心持ちがいたしました。その昔、雲上人など一部の人が嗜んでいたことは、現代においては「文化」と呼ばれ、誰でも触れる機会が設けられるようになりました。今回もその一つと言えると思います。ですが、歴史的な場所で、歴史ある文化を間近に体験していただくことは、その文化が単なる嗜みやステータスとしてだけ存在しているのではなく、古人の知恵が溢れていることに、気づいていただけると思います。今回のような事業が文化の本質に触れ、現代の私たちが、さまざまな角度から暮らしや自分自身を見つめ直すきっかけになればと思います。
小笠原 清基 弓馬術礼法小笠原流三十一世宗家嫡男 「大政奉還」出演
携帯電話が鳴り、出ましたところ『徳川慶喜公をやっていただけませんか?』というお話をいただきました。『お伺い』というよりも確定事項のような流れでしたのでお受けさせていただくことになりました。動きだけでよいということでしたが、実際にはセリフもありましたので必死に練習をして当日を迎えました。撮影現場では全く滑らない床の上をあたかも畳の上を歩くがごとく歩くという無茶な話でしたが、本物を体験いただくために必要なのだということで懸命に撮影をさせていただきました。最新の技術を使うことで歴史を実感できるというのは驚くべきことだと思います。知識だけしか得ることができないことを体験・体感できることはより多くの経験値を得ることにつながりますので、今後も多くの今まで出来なかったことを今だからできることで実施をしていただきたいと思っております。
西村 和香 鷺森神社雅楽保存会 「大正大饗」出演
五節舞を「二条城」で舞うということ。御大礼の大饗の再現とあり沢山の現代の職人さんがたずさわり完成した美しい十二単を纏い、重要文化財御清所の重厚な梁の下で初めて舞った時、自然と歴史は私の体験となりました。そして、このイベントに参加して下さる皆様にもそれを体感して頂ければと思いました。
当時あった建物の面影に想いを馳せてみたり、実際に大饗の行われた二条城で再現することの意味は深いと感じました。
舞としても、色目の重なった袖を5度ひるがえす流麗な所作があるのですが舞われる機会は少ないです。楽譜を集めるところから始まった大歌、和琴、篳篥、龍笛で奏でられる雅楽も、生演奏であったことは皆様を歴史にいざなう大きな役割であったのではないでしょうか。
これから回を重ねてゆくことで沢山の方の心にとまりますように。舞や楽が後にも繋がってゆきますように。そのはじまりにたずさわれたことはとても幸せです。
鷲尾 華子
衣裳家 / 京都芸術大学非常勤講師 /
鷺森神社雅楽保存会所属
「寛永茶会」「大正大饗」「大政奉還」衣装考証
本事業では、各プログラムの構成・運営に携わり、制作面に於いては、主に衣裳の再現制作を担いました。
生きた歴史を体験・体感するプログラムを実現するため、まずは歴史的文献や有職故実に基づいた資料の調査から始め、研究者の方々のご意見もお聞きしながら、多くの生きた情報を収集することがとても大切な工程でした。しかし、限られた準備期間の中で、当時の様式に限りなく近い形で再現制作を行うことは難易度の高い課題でした。糸を染めるとこから始まり当時の装束の色や文様を織りなしていく過程には高い技術が必要で、吉田装束店様はじめ、西陣や丹後をはじめとするの職人方の工芸的技術と産業技術の協力があっての実現でした。若手職人の方にも制作に関わっていただけたことで、未来への技術継承や育成にも繋がる一助になったことと思います。
衣裳というものは人が身に纏った時に生まれる動き・所作と合わさって完成します。所作に関しましては、伝統芸能に携わる方々にご協力をいただけた事で検証と実証に繋がり多くの発見がありました。
このような一つ一つの要素が組み合わさる事で、より当時の臨場感を生み、現代に残る貴重な歴史的文化財空間との調和が図れるのだと感じます。体感を通して文化や文化財に触れ、生きた歴史の体現者が増えていくことを期待します。
吉田 恒 吉田装束店 「寛永茶会」「大正大饗」「大政奉還」衣装考証
各専門分野の方々が史実を再検証され、実証されるとお伺いして身が引き締まる思いが致しました。
日々、我々が調進する装束も過去から伝承されている装束を紐解き、解析をして再現することを要にしています。その上で装束製作に向けて日々の精進を活かせる良い機会と捉え努めさせて頂きました。数百年も遡る事象を今の時代に忠実に再現出来得るのは京都でしかなく、現在でも神祇装束を作り続けている会社や職人がいるのもこの京都をおいて他ならないと思います。その経験や叡智をこのプロジェクトを通じて再認識して頂けるように、伝承された技術や美意識を次世代に伝えることが出来るように注力しました。
織物製作、縫製加工においても若い世代の方々に託しました。
格の高い装束を担うことで負荷を掛けたと思いますが、そのような機会を得ることでスキルアップや仕事に対しての責任感も増すのではないかと思うのと、また、その経験を更に次世代に伝える機会になれば、このプロジェクトの意義も増すと信じています。
太古の昔から様々な宮中行事が技術を高め、経済を潤し、次世代に繋ぐということを繰り返し、今の京都をつくっていると鑑みると、リビングヒストリーが生まれたのは必然かと思います。
※ 肩書は再現プログラム作成当時のものです。